長崎では昔から甘味が足りないことを『長崎の遠か~』と言います。
長崎を訪れた方は料理の甘さに驚きます。
そう、長崎は「甘いまち」なのです。
2020年6月「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」が日本遺産に認定されました。
江戸時代、日本で唯一西洋との貿易窓口であった長崎から小倉に至る「長崎街道」。
世界各地からもたらされた新しく珍しい「ヒト・モノ・コト」はこの街道を通り、全国各地へと運ばれました。
「砂糖」もそのひとつ。
長崎街道は別名を「シュガーロード」と呼ばれています。
◆長崎街道=シュガーロード
長崎街道は、その沿線に砂糖をたっぷり使ったお菓子などが数多く伝承されているのが特徴です。
長崎県内でも「カステラ」をはじめ、「桃カステラ(長崎市)」・「おこし(諌早市)」・「大村寿司(大村市)」など有名で美味しいものばかり。
◆長崎=甘い
多くの日本人が砂糖を口にしたことがなかった江戸時代、長崎だけは特別でした。
当時は長崎に近い土地ほど砂糖が手に入りやすく、砂糖をたくさん使った甘い食文化が生まれたため、
「長崎=甘い」というイメージが定着していきます。
砂糖を節約した甘みが足りない料理などを揶揄した
「長崎が遠か(甘みが足りない)」という言葉も生まれたほど。
◆砂糖はどこからやってきたの?
鎖国をしていた江戸時代、日本で唯一、西洋や中国との貿易窓口であった長崎。
中でも「出島」には、オランダ東インド会社のアジア貿易の拠点であった「バタヴィア(インドネシア/現ジャカルタ)」を経由して、アジア各地やヨーロッパの商品がもたらされました。
「砂糖」もそのひとつ。
(画像:出島に展示されているオランダ船の模型)
◆出島
日本で唯一、西洋との窓口として開かれていた扇形の人工の島「出島」。
現在、当時の姿に戻すための復元整備事業が進められています。
(詳しくはこちら)
出島と外界との唯一の接点は、一本の「橋(= 出島表門橋)」だけでした。
2017年に約130年の時を経て当時と同じ位置に架橋された「出島表門橋」を渡り、江戸時代の出島にタイムスリップしてみましょう。
門番さんがいたので案内してもらいました。
写真左は砂糖などを測った「天秤量(複製)」。
オランダ船が運んできた砂糖などの輸入品は出島で荷揚げされ、計量測定を行ったあと、「砂糖蔵」とよばれた出島内の蔵に貯蔵。
江戸中期以降は長崎会所が一括購入し、国内商人による入札を経て、長崎から日本全国へと運ばれていったのだそうです。
(左:砂糖などを計量した「天秤量(複製)」/西門に展示)
(右:計量の様子が描かれた絵図/川原慶賀「唐蘭館絵巻(複製)」/三番蔵に展示)
砂糖蔵として使われていた三番蔵には、当時と同じように麻袋に詰められた砂糖を展示(右)。
また、グリーンの格子が目印の筆者蘭人部屋(左)では、
出島が世界や日本各地と繋がっていた歴史について知ることができます。
シュガーロードの歴史を学んだあとは、出島内のレストラン(出島内外倶楽部)で長崎名物のひんやりスイーツ「ミルクセーキ」 (中央)を食べながらひと休みするのもおすすめです。
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