世界は今

ダナン越日文化交流フェスティバル2015

03Sep 2015 phuongngatra

TRA THI PHUONG NGA (チャ・ティ・フォン・ガー)

ベトナム・ダナン市

長崎県滞在期間:2011.7~2012.3(2011年海外技術研修員)

 

 

皆さん、只今。

私は2011年長崎県海外技術研修員として長崎に滞在しておりました、チャ・ティ・フォン・ガーと申します。今はベトナムのダナン市で元気に過ごしています。

皆さんもお元気でしょうか。

 

 

出島ネットワークからベトナムのダナン市で越日文化交流フェスティバルがある情報もお聞きになりましたでしょうか。

今回ベトナムのダナン市で2015年8月28日から30日まで行われたダナン越日文化交流フェスティバルを紹介したいと思います。

 

 

 

まずはじめに、「大人気だった!」と伝えたいです!

 

 

最初の日(8月28日)9時からフェスティバルが開かれました。ちょっと見に行きました。日本の食材屋さんなどたくさん出店していました。私はもちろん長崎県のブースによく立ち寄りました。

 

 

長崎県、堺市、見附市、小田原市などからの13団体が参加しました。この日は長崎県の中村法道知事もいらっしゃって、ダナンの代表者と鏡開きをしました。

 

 

 

 

また、プリズミーバンドも来て、コスプレもいて大変賑わいました。ステージの音が大きくて、もし友だちと話しをしたくても、大きい声で叫ばないと聞こえないくらいです。

 

 

 

 

この日の夜、また見に行きました。すると、びっくりしました。長崎県のブースはすでに暗くなっていてお客さんもいなくて、「なんで?皆さんは?」と思っていたら、あら!長崎の食べ物が大人気で早く終わったというじゃないですか!ホッとしながら嬉しく思いました。

 

 

29日の現地の朝のニュースによると、中村法道知事がダナンの五行山近くの観音寺でクスノキを植えたということでした。これからも長崎・ダナンの友好関係がもっと強くなることでしょう。

 

 

当日はまた、いろんな活動がありました。お客さんももっと多くなりました。この日は1日分が早く終わらないように、長崎県のブースは朝からではなくて、午後の5時から有名な長崎和牛、長崎の魚、カステラの試食を行いました。すごく美味しかったです。「大行列でも私の番が来るまで待っています」と皆さんの楽しそうな顔が見られて嬉しかったです。

 

 

 

 

かき氷(2万ドン→92円ぐらい)、たこやき(3個1万ドン→3個46円)などの安い食べ物の日本料理のブースにずいぶん人が集まっていました。

 

最後の日(30日)もいろいろな活動が行われました。日本の文化の折り紙、切り紙、茶道、剣道などを多くの人にアピールしました。

 

 

以上、簡単なダナン文化交流フェスティバルを紹介しました。

 

 

ダナン市は花火大会、国際マラソン大会、サーフィンなどがある市だと知られていますが、これから「ダナン越日文化交流フェスティバル」も、きっと人気になることと思います。
初めてダナン市で大勢の日本人を見ることができました。大変感動しました。3日間だけど、深く印象に残って小さなことでも忘れられません。大好きな長崎!

 

 

長崎の皆さんはもう帰ってしまいました。早いわ、早いわ。フェスティバルの日は夕方にちょっと雨が降りましたが、翌日の31日には朝から雨が降ってきました。天も寂しいのかな、私たちも寂しい~。本当にもう長崎へ帰ってしまったのね。「さようなら」とは言いたくない「また会いましょう」と言いますね。

 

 

また会いましょう。大好きな長崎~!!!

 

 

中国の新年祝い

11Jun 2015 李明

李 明(Li ming)

中国湖北省襄陽市

2013年長崎県立大学シーボルト校研修員

長崎滞在期間 2013年4月~2014年3月

 

 

 

皆さん、こんにちは。

私は2013年長崎県立大学シーボルト校研修員の李明と申します。

今は中国に戻って頑張って仕事をしています。

今回エッセイの寄稿の依頼を受け何を書こうか悩みましたが、ちょうど依頼を受けたのが中国の旧正月が終わった時期だったので、中国人の旧正月の過ごし方について書こうと思います。

 

 

中国では、旧暦の十二月を臘月(と言います。臘月を過ぎたら、中国の人々にとって本当の意味で新しい一年を迎えることになります。新年祝いの風俗や習慣は、地域や民族によって異なり多種多様ですが、共通して言えるのは、去る一年に別れを告げ新たな一年を迎えることです。これは昔から新年祝いのずっと変わらない旨です。そして、その時の、忙しくて賑やかでわくわくした気持ちが溢れる雰囲気は、新年を祝う醍醐味と言えます。

 

 

私の故郷では、早くから新年に向けて準備を始めます。臘月八日に米、粟、あずき、ナツメの実などでお粥を作りますが、これを臘八粥と言います。これを飲むと甘くて体を温めるだけではなく、来る一年を健やかに過ごす願いも含まれています。臘月二十四日には家族総出で大掃除をします。旧年の塵を拭き取って、きれいな姿にして新年を迎えるのです。臘月二十九日には先祖の墓参りをします。三十日に朝早く起きて、春聯(しゅんれん)という縁起のよい言葉を書いた赤い紙を家の門や入口に張ります。それから昼ごはんの料理を準備します。臘月三十日は日本の大晦日にあたり、その日の夜は中国では(除夕)と言います。その夜は家族そろってテレビの春節番組を見ながら夜更かしをします。これは「守歳」といって、夜更かしをしながら皆で新しい歳月の始まりを待つという意味があります。零時の鐘が響いた時、家ごとに爆竹を鳴らして、新年の到来を祝います。その瞬間からやっと新しい一年を迎え、旧暦ではこの初めの一月(ひとつき)を正月と呼んでいます。

 

臘八粥

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春聯

http://livedoor.blogimg.jp/jive301/imgs/d/6/d6c1df44-s.jpg

 

除夕

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廟会

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正月一日から人々はお土産を持って、親戚や友人、同僚の家を回って年始の挨拶をし、お互いに新年を祝い合う習慣があります。これを()と言います。このような年始回りは1日から15日までの15日間も続きます。そのほか、春節の期間中、人々は廟会(日本の縁日に似たお祭り)に出かけたり、神仏に線香を供えて拝んだり、休みの期間が長いので旅行したりもします。日本は人気の海外旅行先の一つです。国中がとても賑やかで華やかになります。

 

 

ところで、時代の変遷にしたがって新年祝いのさまざまな活動もだんだん簡素化して特別感がなくなってきました。昔のように新年祝いを行う雰囲気がだんだんなくなってきたなあと、今の人々はそう感じています。子どものときにはすごく憧れて喜んでいた新年の新しい洋服や美味しい料理などは、今はもう大人になった私にとってそこまで魅力がなくなってきました。しかし、時代がどう変わろうとも、年末になると故郷に帰って、家族と一緒に過ごすことはずっと変わらないです。私だけではなく誰でもそのように感じています。普段はどんなに忙しくても、家からどんなに遠く離れて暮らしていても、年末に家族のもとへ帰るというのは中国人にとって非常に特別な意味があります。自分にとって楽しかった一年であろうと疲れた一年であろうと、親の元に帰って、家族と一緒に無事に一年を締めくくり、一休みを取ってパワーを充電します。そして新しい一年のすばらしい祝福と希望を体に注ぎ込み、また元気いっぱいに新しい旅へと出て行くのです。

 

 

ここまで中国の新年の過ごし方をご紹介しましたが、皆さんのお国ではどのように過ごされますか?とにかく中国人にとって旧暦の正月は最も重要な行事になります。機会がありましたら皆さんもぜひ中国にお越しになり、中国文化を直接感じていただければと思います。

 

 

 

 

飲み込まれていく日々(2)

21Apr 2014 張 慧霞

    大学に行かない日は、起義門外の市場に行っている。モスクの向かいに牛肉店があり、いつもその店のお姉さんとメニューを相談してから買い物を決めている。朝食には息子は首義園の「牛肉餅」がおいしいと言うが、私は牛肉の「豆絲」炒めが食べてて飽きない。

 

 

 

    この市場で「豆絲」と「米粑」を作っている夫婦は言葉に漢川訛りがある。「豆絲」の作り方も実家の母と同じみたいだ。まず水に浸して緑豆と米をそれぞれ膨らませ、それから緑豆の皮をとって米と混ぜ合わせて、ミキサーでクリーム状にする。そして、このクリームを適量とって、油を塗った鍋に張って、二、三分間焼いたら「豆絲」一枚完成。鍋に張るための道具は長江の支流や湖からとっている貝殻、油は豚の腹油、というのが幼いときの記憶なのだが、いまでは貝殻はブラシに、腹油はサラダ油に変わっている。この「豆絲」を千切りにして干して食べてもいいし、このまま炒め物や細く切ってラーメン代わりにしてもおいしい。炒め物なら、溶いた卵を鍋に入れてふわふわにしてから「豆絲」とニンニクの葉を一緒に入れてさっと炒める。この日は牛ヒレとクキチシャの葉を使っている。もうすぐクキチシャの季節が過ぎてしまうという八百屋のお兄さんの話に乗って買ってきた。

 

 

 

ある日の買い物

 

 

 

 

首義園の「牛肉餅」(中華風ミートパイ)

 

 

 

 

「豆絲」

 

 

 

 

「米粑」

 

 

 

 

牛肉と萵苣の「豆絲」炒め

 

 

 

    清明節(祖先の墓を参る“お盆”に当たる年中行事)は家族そろっての休みとなった。宿題に追われて運動不足気味の息子を「武昌江灘」(武昌の川辺)まで引っ張って、凧揚げをさせた。帰りに、海鮮料理で有名なしゃぶしゃぶ店の前を通ったら、若い警備員の一人が同僚に「そうですね」という日本語を教えていた。後日、大学前の店で学生と待ち合わせていると「この店にアフリカ人のウエイターがいるよ」と教えてくれた。荊州の張居正故居内の茶室にも「和敬清寂(茶道の心得を示す標語)」が掲げられていたし、ここまで国際化が浸透しているのかと思うと驚いた。

 

 

 

    旧暦の三月三日に、朝市から帰って来たおじいさんやおばあさんの手には皆、なずなの束が下げられている。この日になずなと茹でた卵を食べると目にいいという古い教えを母も信じていた。それを息子にも伝えておこうと最近、自分もその真似をしている。

 

 

 

なずなと卵の和え物

 

 

 

ある日の夕食:空心菜、莧菜、涼皮、蓮根

涼皮の和え物は主人の得意料理

 

 

 

    最近の学生は、「私達は単位や資格のために日本語を勉強している」、「毎日実験室で専門資料を読んで疲れるので、日本語の授業に来てちょっとリラックスしている」と、息巻いて自分達の学習の目的を述べる。

 

 

 

    しかし私は、彼らに自分の頭を使って考えることの本当の意味、美しい地球を守る気持ち、幸福な社会づくりなどといった人間の美しい夢についてなんとか分かってほしくて毎日奮闘している。

 

 

 

    まあ、悩んでいるだけでは何も始まらない。容赦なく過ぎ去っていく日々を主人とともに市場めぐりで過ごして行こう。

 

 

 

飲み込まれていく日々(1)

26Dec 2013 張 慧霞

張慧霞(Zhang Hui Xia)

中国湖北省 武漢大学・日本語教師

2012年 長崎県立大学シーボルト校研修員

長崎滞在期間 2012年4月~2012年3月

 

 

 

 

  玉蘭(木蓮)の並木が町を彩る時、武漢に帰ってきた。まだ人参と羊肉の煮込みスープで体を温めたい寒さだった。家に着くと、食卓に定番の蓮根スープが出されてある。水果湖の市場で買ってきた蓮根で、毎週日曜日息子の塾送迎のついでに買っていると主人が言う。

 

 

 

 月曜日に早速学部の雑務を手伝い、火曜日から講義を始めた。地下鉄工事や道路整備のため大学の正門が位置を変え、バスの運行路線も変わったということは帰国までにすでにインターネットのニュースで知っていた。しかし、家の近くのメインストリートにある大学行きのバス停が一時的に廃止されて、行きも帰りも40分以上歩かなければならないということは予想外だった。

 

 

 

 『私達はまだ日本語の初心者だから日中2ヶ国語講義は辛い』という学生の不満の声を思い出しながら、本来ならバス停につながっているが、今はガードフェンスに遮断されている横断歩道を見て、こっちが愚痴を言いたかった。『地下鉄なんて自分には全く関係ないのに、なぜこうして工事の不便を我慢しなきゃいけないのか』と。

 

 

 

バス停から眺めた武漢大学の西門

 

 

 

 文句を言ってもしょうがない。商店街を通り抜けたところのバス停なら乗り換え1回で家の近くまで行けるし、ついでに商店街で便利な文房具を見つけたり、翌朝の食材探しをしてもいいなと思うとすっかり散策気分になり、長時間の歩行も苦にはならなかった。

 

 

 

 大学の正門を出たところに、学生らしい若者が露店を出してテルテル坊主型の風鈴を売っている。息子のお友達へのプレゼントとして買っておこう。それをかばんにおさめて商店街へ向かっていると、長崎に留学予定の子にばったり会った。あさって出発だから今晩この近くで送別会があるという。一年生の時の顔を鮮明に覚えていたせいか、この子たちも大人になったねと密かにつぶやいた。

 

 

 

テルテル坊主型の風鈴

 

 

 

 首義路(shou yi lu)でバスを降りて市場へ向かって歩いていたら、パイナップルの香りがしてきた。果物屋のお兄さんが皮を剥いている。もうパイナップルの季節か。一つ買おう。その店は家族で経営していて、お父さんが仕入れ、お母さんが接客、息子達が皮むきなど果物の下処理をそれぞれ担当している。パイナップルはまず皮を削ぎ落してから、ピンセットみたいな道具でトゲを一つずつきれいにとっていく。皮むき器が変わったねと私が言うと、その若者はトゲに沿って螺旋(らせん)状に切りとっていく方法より、今のほうが無駄が少ないと答えてくれた。パイナップルとはこうした処理を経て食べるものなのだという先入観があったので、長崎にいた頃、県立大学の食堂や住吉のスーパーでいちょう切りになっていて、たまに胡麻粒のような種や花が入っているものを見たとき、このまま食べて大丈夫かしらと心配していた。日本の友達に見せたいから写真を撮ってもよいかと尋ねたら快く応じてくれた。こっち側から撮ったほうがきれいに写るよというアドバイスも受けながらカメラに収めた。サトウキビも慈姑もまだあるね、桑の実も登場してきたわ、と興味津々になったが、あまり騒いではみっともないから次回買うことにした。

 

 

 

「このピンセットを使うと無駄が少ないよ」と果物屋のお兄さん。

 

 

 

慈姑も皮を剥いてくれる

 

 

 

桑の実も店頭に並ぶ

 

 

 

 

(前半終わり)

 

 

 

 

 

 

 

私の気付いた中国の一年間の変化

12Sep 2013 朱 浩昱

朱浩昱(Zhu Haoyu)(中国・上海市)

元長崎県国際課国際交流員

長崎滞在期間:2012年4月~2013年4月

 

 

 

  こんにちは!2012年度の国際交流員の朱浩昱です。今年4月に帰国してすでに5ヶ月ほどになりました。母国での生活にはすぐ慣れましたが、私のいない間、中国ではさまざまな変化が起こっていることに気づきました。ここで、その気づきについてお話ししましょう。

 

 

 

その1.物価の上昇

 

  去年に比べて、市場の野菜から住宅まで、すべてといっていいほど物価が上がりました。以前は1個1元(日本円で約16円)だったコンビニで売っている味付け卵は1.5元(日本円で約24円)へと、以前240万元(日本円で約3880万円)だった住宅は今は300万元(日本円で約4850万円)にも値上がりました。それに比べて、給料はそれほどあがっていないのは少々憂鬱です。

 

 

 

その2.PM2.5がキーワードに

 

  大気汚染の関係で、最近「PM2.5(微小粒子状物質)」といった難しそうな語句が日常会話に頻繁に使われるようになりました。天気予報では毎日PM2.5の数値を知らせています。それにしたがって、マスクをつける人もいます。だんだん慣れてきたせいか、近頃PM2.5に関する心配の声は少し落ち着いたようですが、青空が依然見られません。下の写真は晴れた日にとった朝の風景です。白っぽい空です。上海では、青空やきれいな空気(または安心な水)は贅沢品です。

 

 

 

 

その3.いい映画やドラマの増加

 

  一時期、「国産映画が内容よりスケールばかり重視している」と批判の声が上がっていました。しかし、最近「中国合伴人(英語名:American dreams in China)」をはじめとした映画がそのイメージを変えました。

 

  この映画の内容は、アメリカ留学が一大ブームになっていた時代を背景に、3人の若者が紆余曲折を経て、一緒に起業し、自ら経営している学校をアメリカの上場企業にまで成長させたという話です。中国人だったら、この物語を見ると誰でもその古きよき時代の記憶を思い出すでしょう。また、努力すれば成功すると勇気づけられますし、見た後にすっきりする映画です。

 

http://baike.baidu.com/view/8397402.htm

  

  ドラマも次々に良い作品が出ています。あまりドラマを見なかった私も、最近はまったドラマがあります。「心術」という日本の「白い巨塔」みたいな医療業界を描いたドラマです。このドラマは軽やかな雰囲気の中で、中国の医療業界の現実をリアルに描きだした点が気に入っています。つまり、楽しく現実を知ることができるドラマです。「病院で診察してもらうのが大変」という中国では、このドラマは大きな共感を呼んでいます。また、ドラマを通じて、病院側と患者側の相互理解をより深くできるのもいいところです。

 

 

 

その4.「正能量(プラスエネルギー)」、「中国夢」などの言葉が流行語に

 

  「正能量」とは、前向きで人に力を与えるようなエネルギーのことで、人の潜在能力を呼び起こせるような活力のあることを形容して使います。例えば、「あの人には、たくさんの正能量がありますね。(他身上充满正能量。)」というふうに使います。

 

  「中国夢」という言葉は習近平主席が就任以来、「民族の偉大なる復興である中国夢の実現」を唱えるようになり、この言葉が流行するようになったのです。今や人気番組のタイトルである「中国夢之声」もこの言葉を使って名付けたほどです。言葉そのものの力に感心してしまいます。

 

 

 

その5.勤め先の食堂がよくなった

 

  身近な話になりますが、以前は授業が終わって、学生と同じ食堂を利用していました。授業中に学生を厳しく指導した後、食事をとるため食堂に行くと、気がつけば列に並んでいる私の前後の数人が全て自分の生徒でした。これには、さすがにばつが悪い感じがしました。

 

  今は教師専用の食堂ができました。料理の種類も豊富になり、値段も安くて、6元(日本円で約100円)です。同じレベルの定食は、レストランなどでは少なくとも20元(日本円で約320円)なので、満足しています。これなら授業中、思う存分教師としての権威を振るえばいいと安心しています^^

 

 

 

 

その6.広場踊りが流行

  長崎から帰ってきてからは、そこまで忙しくないので、毎日食事の後に、広場踊り(中国語では“広場舞”)をしています。広場踊りは特に年配の女性の間で流行っています。食事のあとに気軽に踊れ、町の広場で踊っている姿をかなり多く見かけるので、「広場踊り」という名がつきました。

 

http://image.baidu.com

 

 

  曲は中国の歌もあれば、英語の歌もあり、リズムに合わせて踊ってとても楽しいです。一時間ほど踊り、程よい汗をかいて健康にも良いですよ。

 

 

  以上、私の気付いた中国の一年間の変化をまとめました。これらの変化は生活様式の変化ではなく、価値観の変化もうかがえると思います。大都会の上海では、日々めまぐるしく変化する世界にどのように順応していくかは、これからの課題かもしれません。